
千葉県東部、太平洋に面した夷隅地域をベースにした自然保護団体です。 この地域は大都市に近接している割には自然と人々の生活との共生が図られている、希少な地域です。夷隅川流域の生物多様性が、多くの恵みを人々の生活にもたらしています。 この貴重な地域の動植物、それを生かした一次産業の在り方の提案、都市住民との交流促進などのイベント情報を発信していきます。 複数のメンバーがそれぞれの分野から発信する方式で運用します。
2011年4月17日日曜日
2011年4月2日土曜日
大震災被災地を訪問しました
3月31日東日本大震災311から20日後、御宿牛舎8号の三成さん、守る会(手塚、中村、菊池、伊藤)プラスYAMAちゃん6名で石巻方面の被災地を訪問しました。 皆からの支援物資、カンパを携え朝5時、日帰りで出発しました。仙台を過ぎ、古川まで、そして途中で現地案内を受けていただいた田代さんと合流し、最初の目的地、石巻専修大学キャンパスへと、午後1時過ぎに到着。 そこで当初の役割である車の引き渡し(千葉にいる方から妹さんへ渡す移送のお手伝い)先のAさんにお会いし、更に詳しい現地の状況をお聞きしました。援助物資をより効果的に届けようと雄勝町へと行くことになりました。下のマップがその日のルートです。
雄勝町に入る手前、北上川本流河口から約4.5キロ入った最初の橋の手前、堤防が決壊し津波が奥地まで侵入し、まだまったく水の引かない地域を通りました。TVでは放映のない地域です。本流の橋は3分2のところぐらいで破壊され、上流500メートルぐらいに切れた橋が流されていました。
雄勝町の中の状態は完全に壊滅状態です。海沿いだけでなく高台にある家まで土台を残し家本体が隣の敷地に移動している有様です。
今の海は、元通りの鏡のような波一つない静けさです。それだけに津波の状況が想像できません。車の中でも皆声が出ない、言葉にならない状態が続きました。



軽油、灯油から食糧、衣料品なんでも受け取っていただき、ビールには顔をほころばせて喜んでもらいました。被災から3週間、気持ちは張り詰めたままですが「これが飲みたかったんだよ~」と、心の余裕が感じられました。
それから海岸伝いに女川へ移動。つい数日前に開通した道です。女川港を見下ろす公園からの写真ですが、この手前のところには湾をまたぐ大きな灯台が付いた防波堤があったとのことですが、完全に破壊されていました。

大規模な避難所である町の総合体育館を訪問しました。クラウンの恰好はできませんがYAMAちゃんによるジャグリングを許可してもらい、さっそく案内してもらったところ、子どもだけでなく大人たちも大喜びです。プロの技に、みんなで大きな拍手。子どもたちにせがまれ最後まで風船を膨らませていたヤマちゃんには1時間以上も働いてもらいました。
この後、メインの車のパンクまでおまけがついて、その修理工場のオヤジさんが「千葉から支援に来ていただいた人から金はとれないよ」と特別値段、大特急で修理してもらいました。
高速インターに入る前、全国一律同じメニュー・サービスの「COCOS」で晩飯を田代さんと一緒にとりました。田代さん、Aさんご兄弟には大変お世話になりました。

さて、震災への支援は緊急段階から、息の長い復興段階へ移っていきますが、原発災害がこの復興に、いかにブレーキをかけるのか、腹立たしい限りです。「原子力の平和利用」なんていう余計なことをしてくれたために、災害復興へのエネルギーが大きくそがれ、国民の負担を倍加させるものです。
私たちの出来ることはわずかですが、先人達が築いてきた自然との節度ある正しい付き合い方から、私たちが学び、原子力とコンクリートに頼らない国づくりを目指す、いろんな活動をすることかなと思います。
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