外房線鵜原駅に午前10時集合。大人12名+こども1名が参加しました。あいにく前日夕から雨の天候でしたが、午前中には雨は上がり午後からは晴れ間が覗くという予報でしたので、予定通りに観察会は開催されました。 地元、鵜原理想郷を守る会の方が同行してくださいました。
とはいえ、小雨が降ったりやんだりだったため、予定の前後を入れ替えて散策を後にすることとしました。前半に産業廃棄物処分場(埋立)が建設されようとしている現地をみて、建設反対地元住民の会の方から、お話を伺いました。
写真のヒラ場すぐ下が計画地の谷です。
処分場建設された場合の悪影響として、①下流域や海への水質汚染と健康被害・漁業被害、②大型運搬車両の交通問題、③理想郷周辺の景観破壊などが想定され、また従事企業の倒産による責任放棄も予想されるため、地域の住民たちで反対運動をしているとのことです。
その後、後半として鵜原理想郷の遊歩道を歩き、歴史・自然を探索しました。
以下、当日資料、泉博幸氏による理想郷の概要です。
・鵜原周辺は三島由紀夫に短編「岬にての物語」のなかで「類ない岬の風光、優雅な海岸線、せまいが言いしれぬ余韻をもった湾口の眺め、たわわなる岬のかずかず、殆んど非の打ち処ない風景」と言わしめた景勝地である。
・理想郷は、大正時代に青年実業家と地元素封家とが養魚場設置の後、世界にも例のない壮大な別荘地として開発を夢見た土地で、「鵜原理想郷土地合資会社」を設立して時の政府高官や財界人たちの購入参加者も多く集めた。
・別荘地だけではなく、運動場、温浴場、教育施設なども計画されていた。
・関東大震災と昭和金融恐慌・世界恐慌を迎えたため、実現されず「殆んど非の打ち処ない風景」が維持され今日に至っている。・理想郷直営の旅館として「鵜原館」が創業され、今日理想郷や文人の資料を保有している。
なるほど、理想郷といわれるいわれを知ることができました。まず遊歩道入口にある「鵜原館」を訪ね、ご好意により館内と文人らの資料を見せていただきました。鵜原のすばらしい景勝を眼下に眺めることができる理想郷の歴史を留める旅館です。客室の窓辺、離れやそこの庭、展望は、大正昭和の避暑地の光景を彷彿とさせてくれます。写真は、離れと庭です。
そして、今回旅館の内部の洞窟温泉や遊歩道のズイ道が、旧日本軍が掘った戦争遺跡でもあることを新たに認識させられました。トンネルの岩のつるはしの跡が、それを掘って額に汗したであろう兵隊さんに思いを巡らせます。
遊歩道散策では、海岸の植物観察、理想郷の崖上・入江・海の景観を探訪しました。南房総の照葉樹林である濃い緑の中にも紅葉の色が混じっていました。芝の草地が広がる高台からは、雨上がりの光り輝く鵜原の海を臨みました。
対岸の青海小学校の白い建物右上の沢が産廃計画地です。かなり急な地形の沢のようです。丘陵上の高層マンションも必ずしも、鵜原の景観にはプラスになってはいないようですが、マンションからの眺めは格別でしょう。そこの住民たち、新住民も海辺の古くからの住民と共に反対の運動をしています。
土屋さんによる植物観察、解説を受けつつ鵜原漁港から山道を歩き、鵜原海水浴場まで散策しました。最後に長いトンネルを抜けて海水浴場海岸に着くと、民間駐車場もたくさん目に付きます。夏場の料金、車1000円・バイク300円の看板が見えました。観光は夏場がカキイレドキです。
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