雄勝町の中の状態は完全に壊滅状態です。海沿いだけでなく高台にある家まで土台を残し家本体が隣の敷地に移動している有様です。
今の海は、元通りの鏡のような波一つない静けさです。それだけに津波の状況が想像できません。車の中でも皆声が出ない、言葉にならない状態が続きました。
軽油、灯油から食糧、衣料品なんでも受け取っていただき、ビールには顔をほころばせて喜んでもらいました。被災から3週間、気持ちは張り詰めたままですが「これが飲みたかったんだよ~」と、心の余裕が感じられました。
それから海岸伝いに女川へ移動。つい数日前に開通した道です。女川港を見下ろす公園からの写真ですが、この手前のところには湾をまたぐ大きな灯台が付いた防波堤があったとのことですが、完全に破壊されていました。
大規模な避難所である町の総合体育館を訪問しました。クラウンの恰好はできませんがYAMAちゃんによるジャグリングを許可してもらい、さっそく案内してもらったところ、子どもだけでなく大人たちも大喜びです。プロの技に、みんなで大きな拍手。子どもたちにせがまれ最後まで風船を膨らませていたヤマちゃんには1時間以上も働いてもらいました。
この後、メインの車のパンクまでおまけがついて、その修理工場のオヤジさんが「千葉から支援に来ていただいた人から金はとれないよ」と特別値段、大特急で修理してもらいました。
高速インターに入る前、全国一律同じメニュー・サービスの「COCOS」で晩飯を田代さんと一緒にとりました。田代さん、Aさんご兄弟には大変お世話になりました。
さて、震災への支援は緊急段階から、息の長い復興段階へ移っていきますが、原発災害がこの復興に、いかにブレーキをかけるのか、腹立たしい限りです。「原子力の平和利用」なんていう余計なことをしてくれたために、災害復興へのエネルギーが大きくそがれ、国民の負担を倍加させるものです。
私たちの出来ることはわずかですが、先人達が築いてきた自然との節度ある正しい付き合い方から、私たちが学び、原子力とコンクリートに頼らない国づくりを目指す、いろんな活動をすることかなと思います。
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