2011年1月14日金曜日

布施のコハクチョウ~その3

最近勝浦の別宅で作業するために、布施でコハクチョウを観察することができます。
毎日見ていると、その日の天候で微妙に態度が違うことが分かります。

この写真は11日の9時頃。非常に寒い朝でした。コハクチョウは24羽(?)で皆寒そうにまるくなってえさを食べている様子はありません。灰色の若鳥が多くいるのが分かります。


今日、14日朝10時頃同じ場所に来たところ、コハクチョウがざわめいたいました。空の上の方から鳴き声が聞こえました。地上のグループと鳴き交わしているようでした。後から来たグループ8羽が降りてくるところでした。

何度も何度も旋回しながら田んぼに着陸します。先に来ている鳥たちもえさを食べながら着陸を見守っているようです。
3羽が降り立つ瞬間です。羽の広げ方が優雅で、アニメーションを見ているようです。

皆が降り立ってえさを食べようとしているところです。

11日や昨日とは違う田んぼにいます。今日はまだ田おこしをしていない、二番穂が実っている田んぼに集まっています。36~7羽いるようです。


昨年、50羽近くが来ていたのと比較するとまだ増えるようです。

2011年1月9日日曜日

布施のコハクチョウ~その2

1月8日午後1時頃のコハクチョウの様子です。数は30羽います。幼鳥が多くなったようです。
皆が頭をあげ、周囲を警戒しているようです。こちらからは約300m離れています。手間の田んぼで作業しているおばさんがいましたが、そのためではないようです。
鳴き交わした後、いっせいに飛び立ちました。昼間えさ場を変えるために飛び立つ姿は初めて見ました。何が理由かは分かりません。旋回した後北へ向けて飛んで行きました。
北の方向にはトンボの沼がありますが、夕方行ってみるといなかったので、この飛び立ちはねぐらへ帰るのではなく、ほかの田んぼへ行くか、他の越冬地への移動かもしれません。今日、もう一度布施に行ってみて様子を確認しようと思います。
北へ向かう時に、群れが二つに分かれて飛び立ちましたが、この写真のようにこの後合流して飛んで行きました。何家族が一緒に暮らしているか分かりませんが、不思議と統制がとれているようです。

2010年12月13日月曜日

布施のコハクチョウ

今年もまた、いすみにコハクチョウが飛来しています。
12月5日の写真です。今日12月13日も同じ場所で、同じ13羽が餌を食べていました。 この写真で分かる通り、頭の羽がまだ灰色の幼鳥がいます。それでもシベリアから飛んできたのでしょう。大したものです。
昨年と比べ数はまだ少ないようです。昨年は50羽前後が春先までいましたから、これから数が増える可能性があります。
野鳥の会、布留川さんに聞いたところ、いつも塒にしている高田の堰(トンボ沼)には戻らないそうです。どこがねぐらか分からないとのことでした。
コハクチョウからすると昨年来た家族が又来ていると思われますが、すみかを変えることがあっても、食事場所は同じところに来るということは、食べることが最優先なんですね。
現在の13羽が何家族なのかは分かりませんが、いつもながらこの風景は農業と生き物が共生していることを実感させるもので、元気に育ってもらいたいと願う気持ちになります。

2010年12月7日火曜日

クロスズメバチ














12月4日我が家の谷津田周辺を散策中にクロスズメバチの巣を見つけました。今年はまだ霜も降りないせいか、働き蜂が元気に活動をしていました。巣から土を出していたのも驚きです。例年ではそろそろ活動が鈍り、女王蜂のみが越冬している時期かと思います。

長野や山梨の方では食用昆虫としてよく知られています。15.6年前ですが、妻の実家(山梨)に遊びに行ったとき、偶然散歩していて巣を見つけて掘り出したことがあります。それを持ち帰ったところ、炒ってくれて食べたことがありますが、結構美味でした。缶詰としても売られていますから、機会があったら食べてみてください。

勝浦の私のところでは食べませんが、10月頃の一番幼虫の数が増えた頃掘り出して、ハヤの釣りえさによく利用したそうです。平均で1万匹もとれるのですからすごい量です。

そのハヤも家の近くの川では全く見られなくなってしまいました。食用にもしたし、メジロのすり餌にも利用したりしたものですが、寂しい限りです。

2010年12月5日日曜日

椎茸のほだ木つくり










 


























11月28日に我が家の谷津田だったところに種をまいて育てたクヌギ(樹齢十年弱)を、椎茸のほだ木にするために伐採しました。

私は椎茸を栽培したことがないので聞いたことを書きます。
11月下旬に切り倒しておいて、2ヶ月ほどおいてから、適当な長さに切って1月下旬に運び出すのだそうです。それは、皮をしめて剥がれにくくするためだそうです。皮が剥がれてしまうと椎茸がよく育たないとのことです。クヌギや木楢の切り時は成長の止まった11月下旬よいとのことです。

そして、私の住んでいる勝浦では3月中旬に種付けをするそうです。来年初めてチャレンジします。

蛇足ですが、今年初めてこの谷津田にクロコノマチョウが飛んできました。何度もチャレンジしたのですが、とうとう羽を開いたところを撮影できませんでした。






2010年11月25日木曜日

2010年秋の観察会「鵜原~理想郷の歴史と自然散策」

11月23日勤労感謝の日、夷隅郡市自然を守る会秋の観察会が行われました。

外房線鵜原駅に午前10時集合。大人12名+こども1名が参加しました。あいにく前日夕から雨の天候でしたが、午前中には雨は上がり午後からは晴れ間が覗くという予報でしたので、予定通りに観察会は開催されました。 地元、鵜原理想郷を守る会の方が同行してくださいました。

とはいえ、小雨が降ったりやんだりだったため、予定の前後を入れ替えて散策を後にすることとしました。前半に産業廃棄物処分場(埋立)が建設されようとしている現地をみて、建設反対地元住民の会の方から、お話を伺いました。 
写真のヒラ場すぐ下が計画地の谷です。

処分場建設された場合の悪影響として、①下流域や海への水質汚染と健康被害・漁業被害、②大型運搬車両の交通問題、③理想郷周辺の景観破壊などが想定され、また従事企業の倒産による責任放棄も予想されるため、地域の住民たちで反対運動をしているとのことです。

その後、後半として鵜原理想郷の遊歩道を歩き、歴史・自然を探索しました。

以下、当日資料、泉博幸氏による理想郷の概要です。
・鵜原周辺は三島由紀夫に短編「岬にての物語」のなかで「類ない岬の風光、優雅な海岸線、せまいが言いしれぬ余韻をもった湾口の眺め、たわわなる岬のかずかず、殆んど非の打ち処ない風景」と言わしめた景勝地である。

・理想郷は、大正時代に青年実業家と地元素封家とが養魚場設置の後、世界にも例のない壮大な別荘地として開発を夢見た土地で、「鵜原理想郷土地合資会社」を設立して時の政府高官や財界人たちの購入参加者も多く集めた。

・別荘地だけではなく、運動場、温浴場、教育施設なども計画されていた。

・関東大震災と昭和金融恐慌・世界恐慌を迎えたため、実現されず「殆んど非の打ち処ない風景」が維持され今日に至っている。・理想郷直営の旅館として「鵜原館」が創業され、今日理想郷や文人の資料を保有している。

なるほど、理想郷といわれるいわれを知ることができました。まず遊歩道入口にある「鵜原館」を訪ね、ご好意により館内と文人らの資料を見せていただきました。鵜原のすばらしい景勝を眼下に眺めることができる理想郷の歴史を留める旅館です。客室の窓辺、離れやそこの庭、展望は、大正昭和の避暑地の光景を彷彿とさせてくれます。写真は、離れと庭です。

そして、今回旅館の内部の洞窟温泉や遊歩道のズイ道が、旧日本軍が掘った戦争遺跡でもあることを新たに認識させられました。トンネルの岩のつるはしの跡が、それを掘って額に汗したであろう兵隊さんに思いを巡らせます。

遊歩道散策では、海岸の植物観察、理想郷の崖上・入江・海の景観を探訪しました。南房総の照葉樹林である濃い緑の中にも紅葉の色が混じっていました。芝の草地が広がる高台からは、雨上がりの光り輝く鵜原の海を臨みました。

崖下には、昭和30年代頃まで使われたであろう岩を四角く掘り込んだいけすの跡が多数見受けられます。すでにだいぶ侵食されていますが、ここは漁師さんたちが掘ったのでしょう。浜には、カジメアラメがたくさん打ち上げられていました。海の中にはカジメアラメの林があり、多くの生き物がいることが想像されました。

海水浴場では、海辺に多数の黒い点が浮かんでいます。波を待つサーファーたちです。

対岸の青海小学校の白い建物右上の沢が産廃計画地です。かなり急な地形の沢のようです。丘陵上の高層マンションも必ずしも、鵜原の景観にはプラスになってはいないようですが、マンションからの眺めは格別でしょう。そこの住民たち、新住民も海辺の古くからの住民と共に反対の運動をしています。

土屋さんによる植物観察、解説を受けつつ鵜原漁港から山道を歩き、鵜原海水浴場まで散策しました。最後に長いトンネルを抜けて海水浴場海岸に着くと、民間駐車場もたくさん目に付きます。夏場の料金、車1000円・バイク300円の看板が見えました。観光は夏場がカキイレドキです。

先ほどの処分場計画の谷からの水が海に出る河口も見学に行きました。シーズンを過ぎた海辺の公共駐車スペースは今日は半分以上空いています。

鵜原の青年館をお借りし、波の音を聞きながらの遅いお昼、弁当となりました。青年館には、歴代の区長さんの肖像写真が掲げてあります。明治初年の区長さんの頭には髷が載っていました。食後、相互に自己紹介、懇談を行いました。午後二時半頃、解散となりました。青年館から外に出て目の前の海に向うと方向は真南。背中の町並みから丘陵山側は北側です。この頃には雨が上がり、空は明るくなってきました。風向きは昨日からの南風から北風となり、これから気温が下がっていくことを予感させていました。
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イソギクです。以下は、目に付いた主な植物です。

ノシラン、イソギク、ツワブキ、ワダン、ツリガネニンジン、マルバハマシャジン、アシタバ、ラセイタソウ、テリハノイバラ、フウトウカズラ、ドクウツギ、ヒメユズリハ、マルバグミ、マルバアキグミ、マルバシャリンバイ、トベラ など

2010年8月30日月曜日

白化個体その後


前にブログに掲載しましたウシガエルの白化個体の幼生ですが写真のようにごく普通のおたまじゃくし、あるいは変態個体になっていました。岡崎市にある基礎生物学研究所 バイオリソース研究室(併任)総合研究大学院大学 生命科学研究科・基礎生物学専攻成瀬 清先生に連絡しましたら、下記の返事がきましたのでご紹介します。



成瀬先生へ報告
ウシガエルの幼生についてお世話になっています。
先日のウシガエルの幼生ですが、正常個体といっしょに小さな池で飼育してい ましたら、
写真のように気がついたときには1匹は変態、1匹はおたまじゃくしのままで
正常色?になって観察されました。
どちらが白化個体であったか分かりません。
池にはその2個体しか入れてませんので、白化個体は正常色に変わったのでは ないかと思います。
以上報告致します。

返事

 メダカでも胚の時は白化その後正常という系統がいます。これは酵素の発現部位調節部位に変異があって発現が遅れるためです。                                           
                                                
以前に成瀬先生からのコメント
ブログの写真を拝見しました。目は少し薄いようですが黒い色素がありますね。体表は2色ですから黄色い色素細胞にも影響が出ていますね。黒い点があるのは色素細胞の分化の過程で目と同じようなシステムが点の部分だけでているのではと思います。もしも多くのアルビノ原因遺伝子であるチロシナーゼの機能欠損ならば目もふくめて白化するはずですのでチロシナーゼの単純な機能欠損では ないと思 います。白化は少なくとも4つ以上の原因遺伝子がありますので、なかなか表現型からはどのような遺伝子の欠損かはわからないです。白化個体は自然界ではほとんど生き残りませんので、カエルにまで育てたい場合は家庭で単独飼育して変態させると言うことですがウシガエル は2年く らいかかると思うので、なかなか難しいかもしれません。